2012年8月3日金曜日

【同潤会再考 関東大震災被災者住宅供給と義捐金浪費】 概要 目次 閲覧リンク

高橋幹夫 【 同潤会再考 関東大震災被災者住宅供給と義捐金浪 】


■■■■■■ 概要 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  

関東大震災(1923年)の際の、今で言う仮設住宅や復興住宅について史料に基づき全体像を提示、
復興住宅の建設主体として義捐金で設立された、内務省の外郭団体、財団法人同潤会についても、
日本としては初期の鉄筋コンクリートの「アパートメント」等、建築的側面に偏っていた従来の認識・評価を、
住宅供給という本来的な観点から再考した。


震災当初、住宅供給は内務省の臨時震災救護事務局が、治安維持・食糧や資材の配給・義捐金などと共に管轄。
(同じく国の震災関連組織であった、帝都復興院は、土地区画整理・道路・橋・運河・公園等を建設)
実際には、東京市などが公園や校庭などに「集団バラック」と呼ばれた緊急避難的な住まい、いわば仮設住宅を設営。

一方、長期的な居住を目的に「集団バラック」からの移転受入れも考え、復興住宅を東京府や東京市などが、政府の指示、義捐金供与で建設を目指すも、
府は工期短縮のため朝鮮半島から労働者向けの住宅を移築したが新聞各紙で酷評、東京市は敷地探しが難航…
また、民間の「住宅会社」への税優遇や国が社債購入の形で出資という構想も国会解散で流産。

府・市・「住宅会社」による住宅供給がいづれも行き詰った年度末、1924年3月、
救済事務局解散に伴い、震災義捐金残金の使途が閣議決定、最大の費目は同潤会の設立財源だった。
同潤会の当初の目的は、仮設住宅「集団バラック」からの移転先=復興住宅建設で、木造の長屋が中心だった。
が、同潤会の住宅も、「集団バラック」の撤収に間に合わず、立地が不便で入居希望者も少なく、同潤会は対象を「集団バラック」入居者以外にも広げ、家賃も下げ、宣伝攻勢。
この有様に新聞各紙に批判が続いた。

「集団バラック」を追い払われ、行く場を失った人々に収容施設を「集団バラック」の廃材で建てたのも、同潤会ではなく、東京市だった。

その後、同潤会は計画変更、不評の木造の長屋減、「アパートメント」増、「アパートメント」を目的に、身内の内務省より義捐金残金から追加供与。
入居者が被災で住まいに困っていたとは限らない、「アパートメント」は、やがて、同潤会の代名詞となる…


震災時の住宅供給・義捐金使途を、従来にない史料渉猟と分析で迫る、ハンドメイドの44ページ!


■■■■■■ 目次 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

■ 関東大震災・「集団バラック」・同潤会
■ 仮設住宅「集団バラック」
■ 府・市・県の住宅等
■ 同潤会発足
■ 「集団バラック」整理会議
■ 「集団バラック」調査・借家貸間探し
■ 同潤会の仮設住宅「仮住宅」と「集団バラック」撤去開始
■ 酷評された同潤会の「普通住宅」
■ 「仮住宅」の処分
■ 「アパートメント」「共同住宅」・・・
■ 方向転換

■ 史料
■ 関連文献

  
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