2010年10月17日日曜日

本郷館 東京女高師寮時代 寄宿者自伝的小説 抜粋

林とし(※)著
いのちのうた 上巻』(S42(1967))年 ※)に、以下、

下宿屋本郷館の建物が、

東京女高師の寄宿舎のひとつだった頃の描写がある。


※M25(1892)年~?、
T4(1915)年東京女子高等師範(現・お茶の水女子大)卒)著

※所蔵公共図書館(調査中)
東京都立 文京区立水道端 杉並区立高井 江東区立江東 足立区立中央 墨田区立あずま 品川区立品川 大田区立大田 新宿区立中央
神奈川県立 横浜市立中央 川崎市立中原 川崎市立多摩 等


p211
「寄宿舎は本舎の他に第二第三の寄宿舎が小石川や本郷にあって、
生活は本舎に準じているのだが旅館を買いとったものなので、
一部屋の人数も少なく本舎よりは余程自由な生活だった」

p247
「寄宿舎は三ヶ所にも分かれていたので
毎年各学年の人数を籤引きによって分けることになっていたから、
折角家族のように親しくなっても
四月の新学期が来るとばらばらに分かれなければならなかった。」

「「大体こせこせしたあの先生がここの舎監だったってこと、
始めからいやだったのよ」」

p248
「二人は一緒に舎監室へ出かけていった。
畳敷き八畳間の床の間を背に」
「舎監は机に向かっていた。

「お邪魔します」」
「「はい、どうぞ」と言われ」
「廊下に膝まずき、しとやかに障子をあけた」

「「籤引きで舎を分けるってことはご存知ね?」」


p249
「「あなた方は最上級生として良心に咎めないのですか?
室長というのは室員を統率して、
私の目の届かない処を助けて下さる役目でしょう?
それがご自身に舎則を破るなんて」」

「「籤引きときまっている規則を
勝手に破ってもいいと考えていらっしゃるのですか?」」

「「籤引きが終わったあとでお互いの合意で交換することを、
それ程悪いことだとは思って居りませんでした」」

p251
「森川町の寄宿舎は帝大正門前の向かい側を
一高寄りの菊坂へ少し下った所にある三階建の建物だった」

「毎朝一緒に本郷通りの帝大常緑樹並木の下をお茶の水へ通学した」

p256
「この寄宿舎の生活は本舎に比べてやはり何となし自由だった。

門限時間も同じことであったが、
時々舎監の留守もある上
舎監室も奥まった部屋だったので、
自然ルーズになる傾向があった。

何といっても町なかではり商店も近い所にあるので、
あの部屋でもこの部屋でも時々誰かがこっそりと、
菓子屋への使者になって茶話会などが開かれた。

この頃演歌師というものが町に流行し、
宵々にヴァイオリンを弾いて流行歌を流して歩き、
その歌詞を売ったものだったが、
夕食後になると毎晩演歌師は窓下に来て電柱に寄りかかり、
哀調の流行歌を流すのだった。

トルストイの作品復活が島村抱月の芸術座で、
松井須摩子に依って上演されて以来
カチューシャの歌が流行を極めていた。

演歌師には苦学生が多かった。
実際の学生かどうか判らないが、
角帽を被っていた。

いつの間にかこの寄宿舎にもこの歌ははいり込んで来た。」

「部屋は直接道路に面して居たので、
他の部屋の生徒達迄がこの部屋へ集まり、
行李をしばる紐の先きへ硬貨をハンカチに包んだものをしばりつけ、
窓から下へおとしてやると
演歌師は三銭に一枚の割合りで歌詞を何枚かハンカチに包みかえる。

その紐を又つるつると引き揚げると、
下では演歌師がヴァイオリンを弾き何度も何度も繰り返し歌うので、
それについて小声でこっそりカチューシャの歌を合唱したものだ。

月の佳い晩など若い心がふるえた。

舎監に気付かれないように行うこのスリル位が、
規則ずくめの中の生活のせめてもの息ぬきだった。

歌詞を買わなければ長く歌ってくれないので、
哀調なその歌をききたさに、
誰か彼かが毎夜のように同じ歌詞を買った。

「この寄宿舎での一番の思い出になるわね、きっと、
卒業して全国のあちこちへ離れ離れになってから、
どんな気持ちで思い出すことでしょう。」

四年生の者達は自分の言葉に感傷を湧かした。
そしていつ迄も演歌師の歌に合わせてこっそりとみんな歌った。


<カチューシャ可愛や別れの辛さ、

辛い別れの涙のひまに、

風は野を吹くララ日を暮れる>


何ども何度もしんみり歌ったがついに舎監に知れることは一度もなかった。」



本サイト関連ページ
下宿屋の実証研究】 目次等

参考小冊子
【本郷館の半世紀】
【下宿屋本郷館の生活実態】
【The 20th Century of Hongoh=kan,a neighbor of Tokyo University】

本郷館関連団体ウェブサイト
「本郷館を考える会」オフィシャルサイト




本郷館関連書籍

【 いのちのうた 上巻】 お茶大寮時代の描写あり 
【 花より男子 18巻 】 外観1コマあり 
【 Tokyo Style 】 写真 外観1点+中庭見下1点+室内(5室)17点 
【 求道学舎再生 】 お隣の求道学舎


2010年9月19日日曜日

目次 関連ウェブサイト等

目次


下宿屋 全般

本郷の下宿屋

公営住宅歴史資料
 
その他 集合住宅歴史資料
 
国会図書館にない基礎史料 




関連ウェブサイト等


ALL-A blog 
「団地・炭鉱・近代化遺産・建築・まちなみ・・・」についてのブログ

本郷館  本郷館に住む  
「本郷館」に住んでいた/いる方々によるサイト




目次 その他集合住宅歴史資料

その他 集合住宅 歴史資料

大正11(1922)年 東京市による調査報告書
 『共同住宅及びビルディングに関する調査』 概要等


「上野倶楽部」(明治43(1910)年建造 木造5階建)の概観写真
 「佐藤別館」(明治43(1910)年頃建造 木造3階建)の平面図   掲載文献 案内


「上野倶楽部」 がモデルの小説描写




関連書籍等
『宇野浩二全集』の小説『人に問われる』には木造5階建て上野倶楽部描写。
『ホテルライフ』にはアメリカのホテル住まいの歴史等
『ドイツの労働者住宅』にはファミーリエンホイザー(1820~24竣工 5層150戸)やマイアースホーフ(1873~74建造 7棟257戸)の図面等も。
『C階段』『みんなのしあわせ』はフランス・スペインの階段室型集合住宅が舞台。


目次 公営住宅歴史資料


全般

大正時代公営住宅制度歴史概略

「住宅低資融通」条件

大正期公営住宅等一覧

昭和初期市町村別公営住宅統計(昭和7年度の例)

「公設住宅」「公営住宅」「公益住宅」という語の大正・昭和初期の用例

大正期公営住宅 記載頁確認資料等

【 同潤会再考 】 参照新聞記事一覧 目次


浅草の玉姫町に東京市が作った公設長屋等について
(後の「辛亥救災会貸長屋」)

単行本 【明治の団地 浅草玉姫町東京市公設長屋】
目次等 正誤表 補遺

小冊子
【レンガの長屋 玉姫御殿】

関連論文 紹介
町田祐一【近代日本の小住宅供給-辛亥救災会公設長屋について】

配置図1 配置図2 写真(第5・6号棟) 写真(託児所と長屋)



関連書籍等

『同潤会基礎資料』各巻内容はこちら
『団地日和』にはドラマ仕立て公団PR映像も。
『大いなる幻影』は同潤会大塚女子アパートが舞台。
『戦前期社会事業史料集成4』は(辛亥救災会含む)M43~T11の国内社会事業等の一覧(詳細はこちら
『戦前期社会事業史料集成9』は(大阪初の公営住宅等も掲載の)『日本社会事業名鑑』(T9)の復刻。





目次 下宿屋歴史資料 本郷の下宿屋について


全般


岐阜出身者と本郷の下宿屋/旅館について

基礎的資料

岐阜出身者創業の本郷の下宿屋に生まれ育ち、
継承された方の自叙伝:
【ひとり語り 種田家ゆかりの人々】 目次等

岐阜の郷土史家による雑誌記事:
【もうひとつの西美濃がここにある 
本郷界隈に栄える大旅館街】 について

 その他 

本郷の下宿屋/旅館 朝陽館関連書籍:
【受難の微笑】 紹介
雑誌記事(再掲)
【西美濃が産んだ東京本郷旅館下宿屋街 続編】

補遺 【日本紳士録掲載下宿屋等一覧】
岐阜出身特定 下宿屋経営者追加


石川啄木が住んでいた下宿屋、蓋平館等について
(岐阜出身者が旅館、太栄館として継承)

啄木の、本郷の下宿屋滞在期間中の日記 
英文抄訳ブログ 索引 冊子

蓋平館/太栄館関連 新聞記事日付等

慶応塾長奥井復太郎の生家 奥井舘について
奥井館資料


 本郷館について
 (岐阜出身者が建造) 

関連書籍

『集合住宅物語』には、本郷の元下宿屋・現旅館、鳳明館も。
『東京生活 no.11』には、本郷の現役下宿屋「暁秀館」記事。
『ローマ字日記』には、本郷の下宿屋(現旅館、太栄館)で書かれた所も。
『本郷菊富士ホテル』は、文人らが集い住んだ本郷の高等下宿。
『鬼の宿帖』は、同ホテル創業者子息の回想。
『菊坂ホテル』『鬼の栖』は、同ホテルがモデルの漫画・小説。
『男どアホウ甲子園』には、作者水島新司もいた、本郷の下宿屋泰明館が(20巻178・204頁 21巻72・82・90・186頁 25巻118頁に看板 22巻142頁に玄関外観)。







目次



下宿屋 全般

本郷の下宿屋

公営住宅歴史資料 

その他 集合住宅歴史資料

国会図書館にない基礎史料

関連ウェブサイト

目次 下宿屋歴史資料 全般



単行本: 【下宿屋という近代】
 目次等 正誤表

研究報告書 【日本の近現代における都市集住形態としての下宿屋の実証研究】 目次等

講演(発表原稿)第159回江戸東京フォーラム【日本近代の集合住宅の原点としての「下宿屋」】

英文解説 
【下宿屋 geshukuya: Japanese boarding house
  as a part of Japanese living culuture and
  social history especially urbanization in Tokyo】

明治から昭和初期の『日本紳士録』に載った下宿屋をまとめた資料
 【日本紳士録掲載下宿屋等一覧】 目次等

昭和初期東京市によるアンケート 【統計に表れたる下宿屋の種々相】 目次等

明治後期の百科事典での説明 
「下宿」(【日本百科辞典】より)

明治後期の下宿屋ガイドブック 【留学の栞 一名下宿屋案内】紹介



関連書籍等

『貼雑年譜』156-157頁に乱歩経営下宿屋の広告・平面図。
『屋根裏の散歩者』は、下宿屋が舞台。

2010年9月13日月曜日

【 町田祐一 『近代日本の小住宅供給事業―辛亥救済会公設長屋について―』 紹介 】
 「明治の団地」関連論文


『日本歴史』 747号 平成22(2010)年8月号 71~87頁

高橋幹夫『明治の団地 浅草玉姫町東京市公設長屋』で取り上げられた公設長屋について、
高橋が存在すら気付かなかった史料―
『辛亥救災会事業一覧』や『東京市養育院月報』等を用い、詳述。

「はじめに」
「一 都市低所得者層の住宅事情と政策」
「二 辛亥長屋の設置」
「三 辛亥救災会の発足」
「四 辛亥救災会の事業」
「おわりに」                    で構成。


参考小冊子 【レンガの長屋 玉姫御殿】