2009年3月11日水曜日

【 西美濃が産んだ、東京本郷旅館下宿屋街 続編 】

(雑誌『西美濃わが街』第301号 2002年6月発行 掲載記事)



本郷旅館下宿屋街を作ったのは
西美濃の方々であると紹介されたのは
『西美濃わが街』第75号(昭和58年8月発行)である。


明治38年に建造と伝えられる
木造3階建ての下宿屋「本郷館」に住む私達は、
本郷で西美濃出身の方とふたつの接点を経て、
山田賢二先生のこの記事の存在を知った。

発端は(メンバーの多くが)住んでいながらも誰も何も分からない
本郷館」の歴史を知りたいという思いだった。


本郷には下宿屋が数軒、旅館が多数ある。
この街としての特徴に何か手掛かりがありはしないか、
そう考え、旅館のひとつ「鳳明館」に1泊してみた。

廊下の壁に「鳳明館」を紹介した雑誌記事が幾つも掲示されていた。


そのひとつに「本郷の旅館の創立者のほぼ8割は岐阜の出身。
また、そのほとんどが種田さん小池さん」とあり、
本郷の旅館の多くは下宿屋を前身としているともあった。

鳳明館」の小池英夫氏については
「生家は岐阜県安八郡輪之内大吉」と書かれていた。
これが私の西美濃との縁の始まりであった。


では、「本郷館」を建てたのはと
いう疑問を抱きながら「鳳明館」を後に
地元の図書館の地域資料室を訪ねた。

書架に
種田公夫氏著『ひとり語り 種田家ゆかりの人々』
が見つかった。

帰宅して早速読み始めると
著者の父親、種田朝太郎氏は養老町根古地出身、
そして「本郷館」の建造者は同じく根古地の高橋氏とあり、
山田賢二先生の記事にも触れていた。

図書館の司書の方との相談の末、
ありがたくも山田賢二先生から直接『西美濃わが街』をお送りいただき、
これを契機に私共の調査は本格化した。


大垣に山田賢二先生を訪ねてご多忙な中、時間をいただいき話を伺い、
種田家や高橋家のルーツを求めて養老の寺に墓参した。
そして、昨年初秋、
建造者高橋氏の後裔、
大垣在住の児玉範彦氏と高橋俊雄氏との面会に至ったのである。


高橋家は根古地で代々造り酒屋を営み、
その姻戚、児玉氏は庄屋を務めてきた。
両家は明治時代には北海道天塩の石油石炭採掘事業も手掛け、
また、外交官や裁判官を輩出した名門である。

その一門のひとり、高橋千代三郎の妻、高橋澤氏が
本郷館」の初代女将である。


明治39年開業、当時は「本郷旅館」と称した。
相前後して、夫千代三郎氏も高等下宿「本郷館」の経営を始めている。

本郷で成功を収めた西美濃出身の先達、
安八郡川並村平(現在の大垣市平町)の羽根田幸之助氏、

先に触れた養老町根古地の種田朝太郎氏に続いたのであろう。

羽根田氏は明治28年
本郷に美濃人初の、後に谷崎潤一郎ら多くの文人が集い住んだ
菊富士ホテル」へと発展する下宿屋を始め、

種田氏は明治35年、
今も旅館として継承されている「朝陽館」を開いている。


が、高橋氏夫妻は「本郷旅館」、「本郷館」を開業後数年にして手離している。
その理由は分からない。

けれども高橋千代三郎氏の「本郷館」は
同じく養老出身の内堀健蔵氏に、後年、更に種田朝太郎氏・公夫氏親子に受け継がれる。
まさに、西美濃の絆の歴史といえよう。

そして、羽根田氏、種田氏、内堀氏は、
下宿屋街本郷に大きな足跡を残すのである。


明治40年『日本紳士録』の政財界人の名前の中に
「本郷館」の内堀健蔵氏、同じく内堀家の、
その名も「西濃館」の主人、内堀桑次郎氏の名前が挙がる。

以来、戦時の混乱で発行が中断されるまで『日本紳士録』には、
毎年、西美濃の産んだ下宿屋街本郷の指導者達が名を連ねる。

羽根田幸之助とその親戚で「鳳明館」創業者の丹羽源作氏、
種田朝太郎氏とその兄弟で「真成館」を開いた種田荒次郎氏、「朝明館」の種田忠四郎氏。

しかも彼等が率いたのは下宿屋だけではなかった。
本郷というひとつの街の核を成していた。


大正6年、羽根田幸之助氏が本郷区区会議員に当選、
大正10年には内堀桑次郎氏、丹羽源作氏が続いた。
種田荒次郎氏の長男で東京帝国大学に学んだ俊英、
種田清一氏は昭和30年より5期、文京区議会議員の任にあった。

その社会的貢献が裾野の広いものであったことは、
今も本郷の社、桜木神社の玉垣にも窺える。

寄進者として、
種田清一氏、種田忠四郎氏子息の種田武夫氏、
鳳明館を丹羽源作氏から受け継いだ小池英夫氏、
その兄弟で現在の旅館「つたや」の前身を開業した小池正夫氏、
彼等の名前がくっきりと刻まれている。


こうして、
明治38年から1世紀にわたる時を刻んできた「本郷館」を振り出しに
思いがけない、しかし、大きな、
東京本郷の中のもうひとつの西美濃に触れることができた。

縁の育んだ歴史との妙縁を授けてくださった、
山田賢二先生をはじめとする、
『西美濃わが街』の関係者、読者諸氏に感謝して拙稿を結びたい。」

(以上)


関連小冊子 【本郷、下宿屋ものがたり】

 
関連書籍

『集合住宅物語』には、本郷の元下宿屋・現旅館、鳳明館も。
『東京生活 no.11』には、本郷の現役下宿屋「暁秀館」記事。
『ローマ字日記』には、本郷の下宿屋(現旅館、太栄館)で書かれた所も。
『本郷菊富士ホテル』は、文人らが集い住んだ本郷の高等下宿。
『鬼の宿帖』は、同ホテル創業者子息の回想。
『菊坂ホテル』『鬼の栖』は、同ホテルがモデルの漫画・小説。
『男どアホウ甲子園』には、作者水島新司もいた、本郷の下宿屋泰明館が(20巻178・204頁 21巻72・82・90・186頁 25巻118頁に看板 22巻142頁に玄関外観)。







2009年3月9日月曜日

【 大正期公営住宅 記載頁確認資料等 】

(国会図書館所蔵の各県社会事業要覧等)

『秋田県社会事業要覧』 昭和13(1938)年 p207~209

『川崎市社会事業概要』 昭和15(1940)年 p24~29

『愛知県社会事業年鑑』 大正14(1925)年 p95~106

『和歌山市社会事業概要』 昭和10(1935)年 p46~48

『富山市社会事業概要』 昭和17(1942)年 p35

『三重県社会事業概要』 昭和2(1927)年 p138~143

『福井県社会事業概要』 昭和2(1927)年 p35

『京都市社会事業要覧』 昭和11(1936)年 p21~22

『岸和田市社会事業便覧』 昭和7(1932)年 p42~45

『西宮市社会事業要覧』 昭和12(1937)年 p58~61

『岡山県社会事業要覧』 昭和5(1930)年 p115~117

『山口県社会事業紀要』 昭和6(1931)年 p71~73

『呉市社会事業概要』 昭和16(1941)年 p15~19

『徳島市社会事業要覧』 昭和10(1935)年 p35~37

『佐賀市社会事業要覧』 昭和2(1927)年 p13~15

『宮崎県社会事業要覧』 昭和12(1937)年 p172~174 


関連書籍等

『同潤会基礎資料』各巻内容はこちら
『団地日和』にはドラマ仕立て公団PR映像も。
『大いなる幻影』は同潤会大塚女子アパートが舞台。
『戦前期社会事業史料集成4』は(辛亥救災会含む)M43~T11の国内社会事業等の一覧(詳細はこちら
『戦前期社会事業史料集成9』は(大阪初の公営住宅等も掲載の)『日本社会事業名鑑』(T9)の復刻。





【 (現旅館)太栄館=(元下宿屋)蓋平館 関連新聞記事日付等 】

『啄木の下宿だった焼けた太栄館』

 朝日新聞 昭和29(1954)年12月15日8面東京版

※「蓋平館別荘時代」の外観「写真」あり

「近代文学研究家」「野田宇太郎」氏による
 『文学遺跡を惜しむ - 焼失した啄木下宿』

 朝日新聞 昭和29(1954)年12月16日5面

 以上



本ウェブログ関連頁

「本郷、下宿屋ものがたり」目次等

啄木の、本郷の下宿屋滞在期間中の日記 
英文抄訳ブログ 索引 冊子





 
関連書籍

『集合住宅物語』には、本郷の元下宿屋・現旅館、鳳明館も。
『東京生活 no.11』には、本郷の現役下宿屋「暁秀館」記事。
『ローマ字日記』には、本郷の下宿屋(現旅館、太栄館)で書かれた所も。
『本郷菊富士ホテル』は、文人らが集い住んだ本郷の高等下宿。
『鬼の宿帖』は、同ホテル創業者子息の回想。
『菊坂ホテル』『鬼の栖』は、同ホテルがモデルの漫画・小説。
『男どアホウ甲子園』には、作者水島新司もいた、本郷の下宿屋泰明館が(20巻178・204頁 21巻72・82・90・186頁 25巻118頁に看板 22巻142頁に玄関外観)。







【 下宿屋という近代 】 目次等



『 下宿屋という近代 Geshukuya, A Modern Age Tokyo 』

高橋幹夫 著  平成19(2007)年 住宅総合研究財団 発行


所蔵図書館
石川・大阪・香川・神奈川・千葉・東京・新潟・宮城・山梨・福岡・文京の各都府県区立
ベルリン国立 等

概要
明治、大正、昭和と、日本の近代化と共に、東京への流入人口の受け皿として機能、
同時代の、欧米由来の様式・工法による同潤会のアパートメント等とは異なる、
自然発生的な集合住宅であった下宿屋を、文献等に基づき詳述した。


目次

【 1章   下宿屋という近代 】
       下宿屋の始まり
       武家屋敷跡や寺の境内に建った下宿屋
       下宿屋という近代

【 2章   下宿屋の暮らし 
       書生と女中さん
       客室
       床の間
       調べ方
       朝食のしたくと火鉢の炭火つけ
       洗面
       新聞配り
       ふとんの上げ下ろしとそうじ
       上げ膳下げ膳
       賄い
       『天井の写るみそ汁』、替え歌、『ひつ換い』
       戦時下の賄いと『どんぶり飯』
       食材の仕入れ
       女中さんの呼び方、手を叩く、呼鈴を鳴らす
       下宿人の呼ばれ方、~番様
       来客の取次ぎ
       お茶、お菓子
       客膳、お酒
       お使い
       電話
       風呂
       下駄、靴の手入れ
       心付け
       洗濯
       貸本屋
       空き間あり
       引越し

【 3章 下宿屋と旅館の間 
       宿屋のおきて
       下宿屋と旅館の兼業
       旅館としての下宿屋
       下宿屋に泊まる

【 4章 下宿屋長者 
       下宿屋長者
       資産家の下宿屋、下宿屋の資産
       『下宿屋の株』
       区議会議員だった下宿屋
       下宿屋の名物恒例行事

【 5章 下宿屋のイメージ 
       現代の下宿屋-家庭的で人情がある
       明治・大正の下宿屋-非家庭的で人情がなく営利的
       自由だった下宿屋
       下宿人の堕落と近代都市

(以上)


関連書籍等

『貼雑年譜』156-157頁に乱歩経営下宿屋の広告・平面図。
『屋根裏の散歩者』は、下宿屋が舞台。