2009年2月24日火曜日

木造5階建 【 上野倶楽部 】 関連資料


宇野浩二『人に問われる』

初出: 『中央公論』 大正14(1925)年6月定期増刊
『宇野浩二全集 第四巻』 (昭和43(1968)年)所収


上野倶楽部がモデルと思われる、以下の描写あり。

羽根田武夫『鬼の宿帳』(昭和52(1977)年)p145~151の指摘による。




「東台館という貸間専門のビルディングの一間を借りていたことがある」

「洋風の、木造の五階建ての建物で」

「一切客の自炊制度で、
部屋だけを貸す仕掛になっていたのだが、

大抵の部屋は
六畳と四畳半とか、八畳と三畳とかいった風な、
二間つづきで、

押入に瓦斯と水道を取り付けた、
簡易な夫婦者に適当するような構造になっていた。

唯五階の、屋根裏に当たる部分だけが
大抵一間切りで、
それも五角形になっていたり、
三角の一端を切り取ったような恰好になっていたりする、
いびつな、半端な部屋が集まっていた」

「それ等のいびつな五階の部屋のうちでも、
一番いびつな、隅の部屋に陣取っていたのである。

それは恐らく日本の畳を標準にしていうと、
三畳敷位の大きさで、
而もその一畳分の隅には、
棚を吊ったような恰好の押入がついていた。

つまり普通によくある上と下との仕切られた押入の、
上半分だけに唐紙をつけたような具合になっているのだ。

だから、部屋の畳敷は三枚でも、
一枚の、上に押入のある部分では、
立つどころか、座ることさえ出来ないような、
小さな部屋だった。

それにも拘わらず、
その部屋の主」「は、
私の友達仲間でも一番の大男で、
身長は五尺八寸余りあった」

「「あの、押入の下のところをベッドにしているんです」」

「「身体を蝦魚にするんです、汽車の寝台のつもりです」」

「つまりその残りの二畳の分へ、
彼は卓子を置いたり、
又彼の仕事の道具である
絵具箱やカンバスの類を並べたり、
一脚切りの、腰掛代りの、
更紗の切を掛けた蜜柑箱を置いたり、
又隅の方には七輪や土瓶の類を並べたりしていた」

「古風な革の鞄の口を開けているのが目に入ったので、
何気なく中をのぞいて見ると、
米が入っているらしいので、驚いて、

「君は鞄に米を入れているんですか?」と聞くと、

「ええ、外に入れるものがないし、
それに買いに行く時見っともないですからね。
それでその鞄で買いに行くんです」」

「一階から五階まで、
(エレベーターのあるような高級な建物ではなかったから)
廊下を下駄ばきのままで上って行く」

「五階の部屋に入って、
そこの西洋風の扉に中から鍵を掛ける」



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